2010年3月7日日曜日

灰になった男

その宿は、湯河原温泉郷の入り口にあり、ちとせ川のせせらぎが聞こえる場所にあった。

温泉宿には珍しい陶芸教室を開いている宿で、指導員もいる。

大型の陶芸用焼窯を2基持っていて、地元だけでなく横浜方面からもお客がやってくるという宿だ。

Aは周囲には知られずに陶芸をやってみようと思い立ち、この宿をインターネットで調べて、宿泊コースの陶芸教室に参加していた。

友人などに知られると冷やかされたり、作品を酷評されたりと悪い事ばかり想像してしまい、自身が住む都内で陶芸教室を探す気になれなかったからだ。

湯河原温泉は熱海の隣で新幹線も停まらず、やや鄙びた印象もあるが、土地柄、人柄が穏やかで住み易そうな町だと思った。

多くの著名人が住む理由が分かるような気がする。

宿は公共の施設で、近年の経済状況を反映してか、設備などは古い。

しかし、温泉浴場が3つあり、陶芸と温泉を楽しむには問題なかった。

また料理が部屋出しというのも、周囲に気兼ねなく食事できるので、これも好都合だった。

1泊2日の日程だが、陶芸教室は2日目の朝からだった。

Aはその夜、食事が済んでから庭園を散歩した。

陶芸用の窯は敷地の端にあった。

Aは下見のつもりで窯の方へ足を向けた。

そこには小さな作業場と窯場があった。

ひとしきりその場で施設を見た後、常夜灯にぼんやりと照らし出された飛び石がある道を戻った。



部屋でひとしきりくろいだAは、そろそろ温泉にでも入ろうとか、混み具合を確認しに3つの浴場を見に行った。

3つの浴場のうち2つは隣合わせだったが、1つが離れにあった。

離れにある浴場の近くには中庭がある。

ほとんど明かりもなく、どんな庭なのかまったく想像できないくらい暗かった。

その暗がりの中からひそひそと話す人の声を、Aは耳にした。

Aは好奇心から、その話の内容を聞きたくなり、自分の気配を殺してその場に立った。

「野中は俺たちのやってることに気づいてるぜ」

「そんな感じだね、このままだと上層部の連中に報告されてしまうな」

「俺達がやってることなんか、業界じゃ常識なんだが、あいつ変なとこ生真面目だからな」

「ボクがなんとかするよ」

「何とかするって?」

「陶芸教室で焼窯使うだろう、アレはガス窯だからガス中毒かなんかの事故に見せかければうまくいくだろう」

野中とは陶芸教室の指導員のことだ。

話している二人のうち一人は、宿にチェックインした時応対してくれた、支配人の声だった。

相手の方は誰だか分からないが、この宿の人間であることは間違いなかった。

話の内容が穏やかでないので、関わりを持つのは危険だと思ったAは、その場をそっと離れて、別の浴場へ足を向けた。



翌朝食事を済ませたAは窯場に向かった。

早く陶芸をやりたいという気持ちに加えて、夕べの話も気になり、予定時間より早く着いた。

指導員の野中は陶芸教室の準備をしていた。

「おはようございます」

「教室に参加の方ですか?」

「はい」

「早いですね、まだ準備してますから、ちょっと待っててもらえますか?」

「分かりました、じゃ、その辺をうろついてます」

Aはそう言うと、作業場を出て庭を散策した。

作業場の隣が窯のあるプレハブだった。

Aは、窯がどんなものなのか気になって、プレハブを覗いてみた。

窯は2基あった。

とても大きなもので人間が入れそうなくらいのサイズだった。

Aは小屋の窓ガラスが少し暖かいのに気がついた。

窯の扉は開いていたが、夕べ作品でも焼いたのかも知れないと思った。

Aはその扉の下に5ミリほどの丸い玉が数個乱雑に落ちているのを見つけた。

汚れているが、やや緑色を帯びていた。

どこかで見た玉のような気がした。



陶芸教室が終わり、チェックアウトしたAは夕べのことが気になり、それとなく支配人を受付付近で探したが見当たらなかった。

そこへ、料理人と思われるでっぷりと太った男がやってきた。

受付で事務員と話す内容をそれとなく聞いていると、どうやら支配人を探しているようだった。

話の様子ではその料理人は料理長のようだ。

そしてその声は、夕べ支配人と話していた相手のものだった。



翌朝、新聞を手にしたAは、社会面に湯河原温泉で宿の支配人失踪の記事を見つけた。

あの支配人だった。

Aは思い出した。

チェックインの時、支配人が手首に数珠をしていたのを。

それは翡翠のようだった。

窯の前に乱雑に落ちていたのはその珠だったのだ。

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2010年2月28日日曜日

悪魔の囁き

「何かお探しですか?」

中国後や韓国語など日本語以外のアナウンスが流れる店内で、Aは手持ち無沙汰の店員から声をかけられた。

Aは、家電量販店のオーディオアクセサリーコーナーで探し物をしていた。

「いや、えー」

自力で見つけようと思っていたAは、突然の店員の声にうろたえた。

というより、元々このような状況で店員から声をかけられるのをあまり好まない上に、自分の思考が邪魔されたことに苛立った。

とは言え、その場は喧嘩する訳にもいかず、適当に会話を成立させるしかなかった。

「携帯電話のイヤホンが切れたので、新しいの探してるんだ」

「携帯はどちらのキャリアですか?」

「au」

「では、ちょうどいい出物がありますよ、ちょっとお待ち下さい」

定員はそういうと少し離れたショーケースからパッケージを持ってきた。

Aに見せながら、

「これは訳ありものなので、新品ですがお安くご提供できますが、いかがすか?」

「訳あり?」

「はい、実は展示品だったものです。未使用ですから新品同様です」

「純正品を買うのは馬鹿らしいと思って、サードパーティのものを探していたんだが、それならこの方がいいか」

Aはそう言って、即決した。

すでにさっきの苛立ちは消えていた。


店から出て、早速携帯電話につなぎ、ラジオ機能を起動させ聴き始めた。

最近携帯で聴く音楽プレーヤーが流行っているが、Aはあの手のものが嫌いで、昔からポケットに入る小さなラジオを聴くのを好んでいた。

今は携帯電話でラジオやテレビの視聴ができるので、その機能を活用している。

思ったより、いいものが安く手に入ったのでAはご満悦だった。


店を出たらすっかりあたりは暗くなっていた。

街路灯が照らす歩道に視線を落としながら、Aはラジオから聴こえるニュースに神経を集中させ、家路を急いだ。



通勤時に限らず、営業で外に出るときでも、Aは時間が許せば携帯でラジオを聴いていた。

今日もそのスタイルは変わらなかったが、Aにとって少し気になることがあった。

いつものように家路についているとき、同じ道をほぼ同じ時間に歩いているのに、なぜか今日は雑音が多いのだ。

もともと携帯のラジオだから音質がそれほどいいわけではない。

しかも電波は天候によって左右されるから多少の不安定さは仕方がない。

しかし、その許容範囲を超える雑音が入っているのだった。

そんな時間が10分ほど続いただろうか。

しばらくして雑音は消えた。

雑音が無くなってしまえば、気にしていたことも忘れてしまった。



その後も、そんなことが度々あったが、同じような時間帯に同じような現象だと、慣れてしまうものなのか、だんだん気にならなくなってきていた。



Aがいつも通る道に、ひっそりと駐車しているワンボックスカーの姿がたびたび目撃されるようになった。

窓をふさいで中が見えないようになってる車で、しかも黒色のためか駐車していることに気づかないほど、闇夜に溶け込んでいた。

車の中では、ある大学の研究者が複雑な機器の操作をしていた。

その機器は通信機器類だった。

この研究者はある実験をしていた。

それは、とても人にいえるようなものではなかったが、自分が立てた仮説を実証したくて、密かに実験をしているのだ。

研究者の隣には、Aがイヤホンを買った時の店員がいた。

「そろそろ効果が出る頃ですね」

「私の仮説が正しければね」

研究者はそう言いながら、なにやら大きなつまみをゆっくりと回し始めた。


Aはいつもと同じように街灯に照らされた歩道を歩きながらラジオを聴いていた。

そして、いつものように雑音が聴こえ始めた。

しかし、きょうはいつもと違っていた。

Aはすこし眩暈を感じたと思った。


ワンボックスカーの中では、研究者と店員が、歩道を撮影していたカメラから送られる映像に見入っていた。

「いよいよですかね」

店員が囁いた。

その時、モニターに映るAが奇妙な行動をとりはじめた。

そばにあった電柱に登り始めたのだ。

研究者はモニターを見ながらいくつかの機器を、デリケートな手つきで同時に操作していた。

Aは電柱にしがみ付きながら遠くを見回すしぐさをしたり、片手を離して振り回したりと、奇怪な行動をとっている。

「そろそろオフりますね」

研究者はそういうと、操作していたいくつかのつまみを絞り始めた。

モニターに写るAは電柱をゆっくりと降り始めていた。



Aは眩暈から覚醒した。

その時、自分のスーツが汚れてクシャクシャになっているのに気づいた。

手も汚れていた。

少し頭痛がしたが、なぜ自分がこんな姿なのかまったく理解でないまま、しばらくその場に呆然と立ちつくしていた。

イヤホンからは聴きなれたディクスジョッキーの元気な声が流れていた。


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2010年2月21日日曜日

過去を語る椅子

横浜の山下公園近くに、調度品にアンティークを使っているショットバーがある。

どちらかというと常連客が多い店だが、カウンターとテーブル席が2つという小さな店だ。

Aは付き合いのある地元のお客さんに紹介されたのが縁で、この店に通い始めた。

バーテンでもある店のマスターが静かな人で、落ち着いて飲ませてくれるのが気に入っていて月に2・3回は通っている。

だから、マスターともあまり世間話をしたことがない。

Aはいつも物思いに耽りながら、好きなタンカレーのロックをダブルで呑むのを習慣にしている。

ただこの夜は、紹介してくれたお客さんから聞いたことが気になって、呑み始めてしばらくした頃、マスターに話しかけた。

「この店の調度品はすべてアンティークだって聞いたけど」

「ほとんどそうですが、全部じゃないですよ、それほど開店資金があった訳でもないので」

「でも、ほとんどっていうのも凄いね」

「店を開くならアンティークを使いたいというのが夢だったもんですから」

「落ち着くよね」

「ありがとうございます」

Aは、改めて店内を見回した。

良く見ると、カウンターの椅子も全部不揃いで、少しずつ違っている。

「一つひとつの曰く因縁なんか知ってるの?」

「全部ではないですが、買うとき時間をかけて選んでるので、ある程度の話は仕入先から聞いてます」

「へえぇ、たいしたもんだね」

「今、俺が座っている椅子はどうなんだろ?」

「Aさんが座られている椅子は、だいたい200年ほど前にロンドンの大学で使われていたものらしいです」

「200年前、ロンドンの大学ねぇ」

「そんな話しを聞くと酒も一味変わるような気がするね」

「この店はオープンしてからそろそろ15年ほどになりますが、数人のお客さんが、興味深いことを言ってます」

「へえ、どんなこと?」

「店の調度品の中には、接していると何か不思議な気分になるものがあるって言うんですよ」

「例えば、座っていると遠くの方から声がするとか」

「声が聞こえるって?」

「ええ、しかも日本語ではないようです」

「まさか横浜だから店の外を外人船員が大声出して歩いてた、というわけじゃないんだよね」

「ええ、この店地下1階だから外の声は聞こえませんよ」

「そりゃそうだ」

Aは再び店の中を見回した。

「それってどの椅子?」

「カウンターにもありますが、一番端の椅子と、Aさんが今座られている隣の席、あとはテーブル席の椅子ですね」

Aはテーブル席を見つめた。

柔らかい明かりを放つランプが壁から伸び、テーブルの上を照らしている。

椅子が1脚だけの一人用のテーブル席だ。

「テーブル席に移ってもいいかな」

「どうぞ、お使いください」

Aはタンカレーのグラスを持って移動した。

この店に通い始めてからいつもカウンターで呑んでいたので、テーブル席につくのは初めてだった。

カウンター席はちょっと高めの位置にあるので、テーブル席はカウンター全体を見渡せる位置にある。

なかなか面白い席だ。

Aはこの席が気に入った。

本当に声が聞こえてくるのだろうかと、半信半疑で耳を凝らしながら呑み続けたが、その晩は何も聞こえてこなかった。


2週間ほど過ぎたある晩、Aはショットバーのテーブル席で呑んでいた。

静かに、目を閉じて、ゆっくりと呑んでいた。

呑み始めて1時間ほどした頃だろうか、少し眠くなりうつらうつらしていたら、何かざわめきのような声がしてきた。

しかし、睡魔に負けて、ちょっと寝ようと思い、軽く寝ることにした。


どの位寝たのだろうか。

ほんの5分程度のようだったが、長く感じた。

しかも夢を見た。

英語を話す男達が、なにやら経済を話題にしているような内容だった。

英語はイギリス英語かオーストラリア英語か、アメリカ英語ではなかった。

よく聴き取れなかったが、リーマンショックがどうとか、辞任したアメリカのオバマ大統領がどうとか言っていたような気がした。

近未来の夢?

自分が潜在的に望む内容なのだろうか。

そんなことはない。

経済に無関心ではないが、それほど気に留めている訳ではないし、利害があるわけでもない。

不思議な夢だった。

まさか、椅子と関係あるのだろうか。


次も、おなじテーブル席についてタンカレーを呑んでいた。

そして、眠くなった。

うたた寝を始めてしまった。

やはり5分程度の睡眠だったようだ。

夢も見た。

同じような近未来だった。

少しは英語が聴き取れるようになっていた。

そこには、ある企業の業績や株価に関する情報交換らしき内容が入っていたような気がした。

Aは推測した。

ひょっとしたら、この椅子に座ると、近未来が見えるのかもしれないと。

であれば、相場で一儲けもができるかもしれないと考えた。

その瞬間、今まではまったく興味がなかったレーティングに興味が沸いたのだった。


その後、頻繁に店に通い、同じ席に座ってタンカレーのロックをダブルで呑みながら、うたた寝を繰り返した。


夢でみた情報を整理して、Aは投資を始めた。

近未来の話だから、すぐに結果がでることはないので、しばらくは様子見だな、とAはある程度の仕込をしてから傍観することにした。

未来からの情報に基づいて、必ず儲かると確信しての投資だから心はウキウキしていた。

そんな時、ふと思ったのが、以前にもこの椅子に座った人間がいるのだから、その人達も何かしら儲けているのではないかという疑問だった。


ある日、Aはマスターに聞いてみた。

「例の椅子に座って何かしらの声を聴いた人って、どうしてます?」

「それがですね、何か聴こえたっていう話をした後、しばらくしてからぱったりとお見えにならないんです」

「店に来ない?」

「ええ」

Aは考えた。

儲かったからほどほどのところで投資を止めたのか、あるいは聴こえた話が経済ネタではなかったのか。

いま、人のことを考えてもしかたない、自分の結果を出すしかないな。

Aはそう考えて、それ以上他人のことを詮索するのをやめた。


そして半年ほどした頃、新聞の経済面を賑わせた事件があった。

Aが投資していたグローバル企業が業績悪化で倒産したという話しだが、その裏には政治問題も絡んでいたらしく、大変な事件になっていた。

ショットバーのマスターは、その新聞記事を見て、Aのことを考えた。

誰かに言わずにはいられなかったAから、断片的に話を聞いていたマスターは、薄々感づいていた。

しかし、あの椅子に座った人間は、己の欲望に勝てずに身を滅ぼすということも知っていた。

椅子に座って聴こえるのは未来の声だけでなく、過去の声もあり、それらは混在しているということを、マスターは知ったいたのだ。

「欲望」は都合の良い話しにしか耳を傾けないから、そんな人間には何を言っても無駄なのだ。

マスターは、また一人常連客が減ったことを知った。

2009年10月27日火曜日

パンティラインの謎

-最近、街を歩く女のパンツ姿が増えてきたような気がする、スカートを穿く女が少ないような気がする-
そんなことをぼんやり考えながら、Aは自宅から最寄の駅に向かって歩いていた。
朝の出勤時間帯のせいか、駅に向かう人は皆、足早だった。
その流れを邪魔するかのように、Aはマイペースで歩いていた。
そして何人もの人に抜かれていった。
自分を追い抜いて行く人混みの中に見える女の後姿だけを見ながら、

-脚線が見えなくてもパンツのお尻のラインがしっかり見えれば、それで充分-

などと思いながら前を歩く数人の女のお尻に視線を落としていた。
Aは極度のパンツ尻フェチなのだ。
パンツ姿のお尻に出るパンティラインを見るのが大好きで、程よい膨らみと形の良いお尻に写るパンティラインを見ようものなら、即座にムラムラとしてくるのだった。
そんな性癖を持つAの前を、ベージュのパンツに濃い茶色のジャケットを着て、落ち着いた足取りで歩く女がいた。
女の歩く速度が、微妙だが、Aが歩く速度に合っていた。
そして歩き方が妙に色っぽかった。
Aは腕時計に目をやった。


翌日、Aは昨日と同じ時間に同じ場所を歩いた。
例の女と出会うことを期待してのことだった。
予想通り、女は後ろから近づき、Aを追い抜いていった。

-今日は濃紺のパンツか、悪くないな、線も見えるし-

Aは呟いた。
女は次第に遠のいた。
Aはその時、閃くものがあった。


翌日、Aは女の通勤時間に合わせ、女に追いつくような形になるように歩いた。
狙ったとおり、女が前を歩いていた。
Aはいつもより足早に歩き、女を追い抜いた。
追い抜いてすぐ、上着のポケットに手を入れ、携帯を出した。
同時にハンカチを落とした。
もちろん意図してのことだ。
女が気づいて拾ってくれるか、気づいても無視するか、Aは賭けた。
携帯を見る振りをしてそのまま速度を落とすことなく歩いた。

-まだか…-

Aの心は乱れた。
とてつもなく長い時間に感じられた。
賭けに負けたと思って諦めた瞬間、首筋に女の声が刺さってきた。

「あの、ハンカチ落としましたよ」

初めて聞く女の声だった。

-ハスキーで艶っぽいなぁ-

Aは呟いた。
内心小躍りしたが、そんな気持ちは微塵も見せてはならない。
ドキドキしたが、やっとの思いで平静を装って振り向いた。
初めて見る女の顔だった。
想像より良い女だった。

「はい?」

Aはわざととぼけた返事をした。
女がハンカチを差し出していた。

「ああ、あれぇ、落としてました? ありがとございます」

Aは狼狽した演技をしてみせたが、ぎこちなさを自分でも感じていたので、相手にバレはしないかと、さらに不安が増幅してきた。
手にはじっとりと汗をかいていた。
Aはバツの悪そうな顔でハンカチを受け取り、礼を言った。
女は会釈して、そのままAの前を通り過ぎて行った。

-初回はこんなもんでいいだろう-

緊張はしたが、自分のプラン通りに首尾よく終わったと、Aは納得した。
予想外だったのは、女が思ったより良い女だったことだ。

-自分はパンツ尻フェチだから、バックシャンでも充分だったが、前も良いに越したことはない-

-所詮、男は欲張りな生き物だからな-

などと勝手に納得していた。


数日後、Aは電車の中で女に声をかけるべく時間調整をした。
女が乗る電車の時刻と車両は予め調べてあった。

-これじゃまるでストーカーだな-

と思いながらのリサーチだった。
本人がストーカーではないと思っているところが問題だが、特殊な性癖のため、危害を及ぼすようなことはなかった。
Aは乗車後、やや混雑した電車の中で、揺れに任せて徐々に女の傍に近づいていった。
そして、女と斜向かいになる位置を確保して、機会を待った。
女はつり革につかまりながら、片手に経済新聞を持って読んでいた。
電車が大きなカーブに差し掛かったとき、Aは女にもたれかかった。
その瞬間、

「あっ、すいません」

と謝った。

-わざともたれかかっておいて-

と自分で違和感を感じながらも

-シメシメ-

と思っていた。
そして、自分のシナリオ通りに、

「あっ、あなたは、この間の…」

と驚いてみせた。
女はしばらく唖然としていたが、思い出したように、

「ああ、ハンカチの方、ですよね?」

と問い返してきた。

「そうです、そうです、あの時はありがとうございました」

「あ、いえ、大したことではないですから」

Aはその先、言葉を繋げなかった。
女もちょっと当惑気味だったが、ちょうどその時、電車が次の駅に停まり、新しい客が乗り込んできて、二人の間は押し広げられたため、その日はそれきりになった。
Aのシナリオではもう少し会話が続くはずだったが、現実はそれほど甘くはなかった。


さらに数日後、Aは駅に向かう途中で女と出会うように時間調整して出かけた。
予定通り、女に接近できた。
そして、シナリオ通りに、

「おはようございます」

努めて元気の良い挨拶をした。

すでに声を交わしているから、後は元気よく、勢いで接する方が得策と判断しての行動だった。
女は、やや戸惑った様子だったが、笑顔で挨拶を返してくれた。


そんな朝のアタックを繰り返しながら、Aは女との距離をかなり縮めていった。
そして、最初に女のパンツ尻を見てから半年ほど経った頃、Aは女をホテルに誘うことに成功した。
これまで、Aが女のパンツ尻を見るときは、必ずパンティラインが浮き出ていた。
今日はその実態を目撃できるのかと思うと、Aは落ち着かなかった。
Aはホテルにチェックインし、女とエレベータに乗り、フロントで渡されたキーの番号のあるドアの前に立った。

-いよいよだな-

Aは心身共に緊張していて、股間は既に熱かった。


部屋に入ってソファに座ったAは女に、

「先にシャワー浴びてきたら」

と促した。
女はちょっと躊躇したが、頷いて、パンツを脱ぎ始めた。
Aはその後ろ姿を見ていたが、そこにはパンツに写っていたパンティがなかった。
Aは狼狽して、

「あれっ」

と思わず声を出してしまった。
女は振り向き、不思議そうにAを見て、

「どうかなさった?」

「いいや、パンティが…」
「ああ、私Tバックなの、ノーパンじゃなくてよ」

「でも、パンツにパンティのラインが…」

「ああ、あれはそういう紋様が入ったパンツなの、エンボス加工ね」

「ええ、そんなものがあるのかぁ」

「男の人がパンティラインを見たがると思って、わざわざそういうパンツを穿いてるのよ」

Aは自分の股間を覗いた。
冷め切った湿地帯があるだけだった。

2009年10月22日木曜日

ファストフードの真実

ここはハンバーガーで有名なM社の会長室。
会長とおぼしき筋肉質の男が、デスクに足を乗せて書類に目を通している。
デスクの上には6台の電話機と3台のパソコンがゆったりと配置されている。
電話機は、5ブロックに分けられた海外拠点の代表と結ばれたホットラインで、残りの1台はこの国の大統領とつながっているホットラインだ。
男が書類をデスクに置き、腕時計に目をやると、ドアをノックする音が聞こえてきた。
この会長室は、会長のデスクとドアの間に長さ50Mほどの会議机が置かれているほどの広さで、小さなノックでは聞こえない。
ノックの主は、あらかじめアポイントを入れていた商品開発本部の責任者だった。
大学時代にはフットボールのスター選手だったその責任者は、書類を持って時間を惜しむように部屋に入ってきた。
「新しい商品の試作品ができました」
「…」
「別室でテスターが味見を行いますのでモニターでご覧ください」
責任者はそういうとリモコンを操作して壁を開き、埋め込み式の大型ディスプレイを出した。
そこには別室で新しいハンバーガーを前にした大柄の男女各2名、計4名の人間が座っていた。
「いつもの人間ではないようだが」
「はい、いつもの連中はそれぞれ生活習慣病が悪化して合併症などを併発しており、仕事に耐えられませんので、新人を使っております」
「今回は早いね」
「はい、年々テスターの寿命が短くなっています」
「原因はなんだね」
「ハンバーガーの食べすぎかと思います」
「そうだろうな、いたし方あるまい」
「はい、依存症になるように添加物を加え、しかもコストを下げるためにかなりの混ぜ物をしていますから」
「私は一度も食べたことないが、うちのハンバーガーは美味いのかね」
「はあ、実は私も食べたことがないので、なんともコメントのしようがありません」
「困ったものだね、商品開発担当者の君は一度くらい食べた経験が欲しいね」
「はぁ、ではいずれ時間をみて」
責任者は困惑の表情を浮かべた。
「じゃ、テストを始めてくれ」
「はい」
責任者はリモコンのボタンを押した。
別室では現場担当者の指示でテスター達が試作品を食べ始めた。
しばらくすると、ディスプレイに映し出されていた4人が、ハンバーガーを食べながら歓喜の声を上げ始めた。
それを見た会長が
「今回のものは効き目が強くないか、少しやりすぎのような気がする」
「はあ、でも現在販売してる商品より強くすると、この程度にはなってしまいます」
「そうか、そろそろこの『喜び』の添加物を使うのも限界かな」
「そういう意見も開発現場から出ております」
「新しい添加物の開発は終わっているはずだな」
「はい、いつでも使えるよう準備はできております」
「では、3ヵ月後の販売に向けて、その添加物を使った新しい商品を開発するように」
「承知いたしました」
責任者はそう言うと、大型ディスプレイを収納して、部屋を出た。
責任者が部屋を出ると、会長はホットラインの1台に手を伸ばした。
独特の呼び出し音が数秒聞こえた後、先方が出た。
「やあ会長なんだね」
静かで深みのある声だ。
「大統領、ご報告があります、例の新しい添加物ですが、3ヵ月後には商品に使用して市場に出します」
「いよいよ出ることになったか」
「はい、これまでの添加物でもだいぶ生活習慣病患者の増加には寄与したと思いますが、これでさらに増えるでしょう」
「わかった、ご苦労だね」
大統領は会長を労った。
「では製薬会社へはよろしくお伝えください」
「承知した」
会長は受話器を置き呟いた。
「壮大なるマッチポンプか」

2009年10月17日土曜日

仮面電車

ある平日の昼下がり、Aは客先回りのためにJR山手線に乗っていた。
席が空いていても座らないことを習慣にしているAは、ドアの脇に立ち雑誌を読んでいた。
目が疲れてきたので、遠くを見ようとふと顔を上げた時、膝の上に化粧ポーチを乗せて、手鏡を置き、一心不乱に化粧する女性の姿が視界に入ってきた。
最近はよく見かける光景だが、Aはこの手の女性達の神経を疑っていた。
電車の中はもちろん、家を一歩出れば、どこかの個室にでも入らない限り、どこに行ってもそこは公共の場所だ。
かなり昔のことだが、Aは山手線で乗り合わせた外人親子の面白いやり取りを見たことがある。
日本でいえば小学校高学年位の息子が車内で騒いでいたのを、父親が
「This is public」
確かそんな風に言ったら、その子がおとなしくなったのだ。
公私のけじめを躾けてる、というより躾けられている、そんな印象を持ったのだった。
「パブリックかぁ」と、Aは当時を思い出していた。
それに比べ、いま目の前にある光景といったら、まるでパンツを穿かずに銀座を歩くくらいの恥さらしに見える。
そう考えているAにとって、公衆の場、公衆の面前でその汚らしい(Aが目撃するこの手の女性で美人はいない)顔を見せていることが許せなかった。
他の乗客はどうしているのかと周りを見渡すと、他にも同様に化粧している女性が3人いた。
周りの乗客は見てみぬ振りを決め込んでいるようだが、その様子からは好奇心が透けて見えた。
Aは溜息をつき、雑誌の誌面に目を落としたが、件の女性達が気になって活字を追うことができなくなっていた。
仕方なく車内を見回すと、4人の女性達の仕事もだいぶはかどっているようで、それぞれ元の顔からかなりの変化を遂げていた。
まさに化粧だなと、妙な感心をしていたが、ふとAは面白いことに気がついた。
それは4人とも同じ女性誌を持っていることだった。
そうやって同じ情報を共有し、流行りに振り回されていくんだな、主体性のない醜い女たちめ、そんな感情をもって彼女達の仕草を見ていた。
すでに雑誌を読む気にもならず、外を流れる景色をぼんやり見ていたが、何かが変だ、何かが変わってきている、そんな感じがしていた。
何だろう、視界に入ってくる風景に違和感がある、そんな印象だった。
そして、しばらく外を見たり車中を見たりを繰り返していたが、女たちの化粧が終盤に入ったとき、Aはその違和感を知った。
4人がまったく同じ顔になっていたのだった。
まるで般若の面を被っているような。
せめてオカメならよかったのに、と内心思ったが、流行を作る女性雑誌のなせる業か、とAは溜息をつきながら感心(寒心)していた。
気がついたら、Aが降りるべき駅は随分と遠ざかっていた。

2009年10月15日木曜日

チュニジアのアンティーク

大正時代から店を開いている骨董屋が六本木にある。
いまの店主で3代目となる老舗の骨董屋だ。
先々代、先代の営業努力もあり、富裕層から一般庶民層まで幅広い客層を持ち、また取り扱う品揃えがユニークな店としてよく知られている。
特にアフリカや中東あたりの骨董を得意にしている。
この店の幅広い客層の中にAがいる。
大企業に勤める中堅管理職で、コツコツ貯めた小遣いで骨董品を買うのを唯一の趣味にしてる男だ。
ある平日の夕方、Aは打ち合わせで外出した折、久しぶりにこの骨董屋をのぞいてみようと思った。
店に入ると店主が笑みを浮かべて話しかけてきた。
「久しぶりですねAさん、何かお探しですか?」
Aは、冷やかしで来たくらいのことは分かってるのに、と苦笑いしながら、
「いやいや仕事で疲れたのでちょっと心の凝りをほぐそうかと思ってね」
「それはそれは恐縮です。うちの店で癒されるならいつでも歓迎しますよ」
「しかし、いいタイミングで来られましたよ、ちょっと面白い物が入りましてね」
Aは、店主の愛想笑いの原因がこれだったかと合点がいった。
「ほう、どんなものですか? 私の食指が動くようなものですか?」
「たぶん、というより間違いなく。Aさんの好みは良く理解してるつもりですよ。ちょっと待っててください、いま持ってきますから」
そう言うと店主は店の奥に消えた。
待つ間、Aは店の隅にある展示コーナーを見ていた。
このコーナーには、店主がアフリカや中東で仕入れきた小物が置いてあり、手ごろな価格なので必ずチェックすることにしているお気に入りの場所だ。

店主が店の奥から小さな箱を持って戻ってきた。
「これですよ、私が以前チュニジアで仕入れたものです」
「ほぉー、チュニジアですか」
Aは顔をほころばせながら店主が箱を開けるのを待った。
店主は、粗末な木箱にかけられた麻紐を丁寧に解きながら、
「だいぶ前のことですが、観光でチュニジアに行った時、泊まったホテルのマネージャーと親しくなりましてね、仕事で骨董品を扱ってる話をしたら、是非見せたいものがあるといわれて、見せられたのがこれです」
そういって店主は箱を開けた。
そこには奇妙な形の物がウコン染めの木綿布に包まれていた。
「これは紀元前500年頃、エジプトで使われていた物らしいです」
「へー、随分古いものなんだ」
Aはため息をついた。
「それにしても妙な形だね」
その物は、円錐形の土台に5枚の羽がヤジロベエのように微妙なバランスをとりながら載っていて、高さは15センチほどだった。
材質は金属のように見えた。
「なんでもこれは潮の干満を教えてくれる装置だそうです」
「潮の干満?」
「そうなんです。干満の原因となる潮汐力は、月や太陽などの天体によって地球のまわりの重力場に勾配が生じることで起こるっていいますよね。この装置は月との距離が変わることで生じる重力場の変化を捉えて、この上の羽が回るんだそうです」
「動いたとこ見たの?」
「いやまだないですけど、この材質が合金で、かなり特殊なもののようです。その合金が重力場を感じるんだそうです」
Aは当然のことながら半信半疑で店主の話を聞いていたが、このような骨董品の場合、付加されている話の真偽はどうでもいいのだ。
この種の骨董品の場合、かび臭いロマンを買うようなものなのだと、割り切っている。
「それからこの装置には別の効能があるらしいですよ」
「別の効能?」
「効能っていうとおかしいですが、アラジンの魔法のランプみたいなものです」
「というと何が願い事が叶うのかな?」
「まあ、そういうことです」
店主がそういうとAの顔に好奇心が浮かんだ。
Aはいま社内の派閥抗争に巻き込まれている。
大企業にありがちな派閥抗争で副社長派と専務派が、社内での次の権力を握ろうとしのぎを削っているのだ。
Aは専務派に属しているが、いつまでもこの抗争が続くのは会社にとって良いことではないと思い、なにか解決の糸口がないか探っているのだ。
藁にもすがる思いで、この装置に願いをかけてみるか、そんな思いがふっとよぎったのだった。
「これはいくらで譲ってもらえるのかな?」
「お得様のAさんだから、10万あたりでどうですか?」
「う~ん、もう少し勉強してもらえると手が出るんだが」
「じゃ7万でどうです?」
「悪い数字じゃないから、それでいただくかな」
「ありがとうございます」
Aはその装置を自宅に送ってもらうことにした。

翌日の晩、自宅でその装置を手にしたAは、早速願い事をすることにした。
副社長が戦う意欲を無くせば社内抗争はなくなると思い、そんな意味のことを装置に向かって念じた。
そんなことを数週間続けたが、副社長にはなんの変化もなかった。
ある日、骨董屋を訪ねたAは例の装置に願いをかけるにはどうしたらいいのか、店主にそれとなく尋ねた。
店主がいうには、かなり具体的な願いの方が効果あるらしいということだった。
その晩からAは、抽象的な願いではなく、もっと具体的な願いをかけることにした。
しかも、あまり軽い願いでは効果が薄いと思い、強烈な願いにしたほうがいいだろうと考えて、
「副社長が病死しますように」
と念じたのだった。
10日ほど経った時、社内に副社長病死のアナウンスが流れた。
それを聞いたAは心臓が止まる思いだった。
「まさか、あの願いが本当に叶うとは…」
Aは翌日、例の装置を持って骨董屋に向かった。
「この装置、悪いんだが引き取ってもらえるかな?」
と落ち着かない様子で店主に装置を渡した。
「では、4万でお引取りいたしますが…」
「ああ、そうしてくれ」
Aは、価格交渉をする余裕もないようだった。
現金を受け取ったAは足早に店を出た。
その後ろ姿を見送りながら、
「ただのガラクタなんだけどな、これで3人目だ」
店主は呟いた