ある平日の昼下がり、Aは客先回りのためにJR山手線に乗っていた。
席が空いていても座らないことを習慣にしているAは、ドアの脇に立ち雑誌を読んでいた。
目が疲れてきたので、遠くを見ようとふと顔を上げた時、膝の上に化粧ポーチを乗せて、手鏡を置き、一心不乱に化粧する女性の姿が視界に入ってきた。
最近はよく見かける光景だが、Aはこの手の女性達の神経を疑っていた。
電車の中はもちろん、家を一歩出れば、どこかの個室にでも入らない限り、どこに行ってもそこは公共の場所だ。
かなり昔のことだが、Aは山手線で乗り合わせた外人親子の面白いやり取りを見たことがある。
日本でいえば小学校高学年位の息子が車内で騒いでいたのを、父親が
「This is public」
確かそんな風に言ったら、その子がおとなしくなったのだ。
公私のけじめを躾けてる、というより躾けられている、そんな印象を持ったのだった。
「パブリックかぁ」と、Aは当時を思い出していた。
それに比べ、いま目の前にある光景といったら、まるでパンツを穿かずに銀座を歩くくらいの恥さらしに見える。
そう考えているAにとって、公衆の場、公衆の面前でその汚らしい(Aが目撃するこの手の女性で美人はいない)顔を見せていることが許せなかった。
他の乗客はどうしているのかと周りを見渡すと、他にも同様に化粧している女性が3人いた。
周りの乗客は見てみぬ振りを決め込んでいるようだが、その様子からは好奇心が透けて見えた。
Aは溜息をつき、雑誌の誌面に目を落としたが、件の女性達が気になって活字を追うことができなくなっていた。
仕方なく車内を見回すと、4人の女性達の仕事もだいぶはかどっているようで、それぞれ元の顔からかなりの変化を遂げていた。
まさに化粧だなと、妙な感心をしていたが、ふとAは面白いことに気がついた。
それは4人とも同じ女性誌を持っていることだった。
そうやって同じ情報を共有し、流行りに振り回されていくんだな、主体性のない醜い女たちめ、そんな感情をもって彼女達の仕草を見ていた。
すでに雑誌を読む気にもならず、外を流れる景色をぼんやり見ていたが、何かが変だ、何かが変わってきている、そんな感じがしていた。
何だろう、視界に入ってくる風景に違和感がある、そんな印象だった。
そして、しばらく外を見たり車中を見たりを繰り返していたが、女たちの化粧が終盤に入ったとき、Aはその違和感を知った。
4人がまったく同じ顔になっていたのだった。
まるで般若の面を被っているような。
せめてオカメならよかったのに、と内心思ったが、流行を作る女性雑誌のなせる業か、とAは溜息をつきながら感心(寒心)していた。
気がついたら、Aが降りるべき駅は随分と遠ざかっていた。
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