2009年10月13日火曜日

ドリームタクシー

「お勘定して」
Aは連日の仕事で心身ともに疲れているのか、少しばかりの酒で酔ってしまうので早めに帰ろうとバーテンに会計を頼んだ。
「今夜はお疲れのようですね」
「そうなの、ここんとこ寝不足が続くほど残業が多かったもんでさ」
「仕事があるだけいいじゃないですか」
「おいおい、冗談いうなよ、サービス残業だぜ、損得で言えば大損だよ」
Aは顔をしかめて、
「あんまりシンドイから会社なんか行きたくないよ、しばらくどこかでのんびりしたいね」
バーテンは大きく頷いて伝票を差し出した。
Aはクレジットカードをバーテンに渡して、
「タクシー呼んでくれる」
「Aさん、何いってんですか、うちではタクシーはセルフで呼んで貰ってるの忘れたんですか」
「ああ、そうかスマン」
Aはそういって店の入り口近くにある電話ブースに行った。
そこにはタクシー会社直通の電話があった。
といっても、契約している5社の中から好きな会社を選び、その短縮番号を押すだけのものだ。
Aはタクシー会社の一覧表の中に新しい会社名を見つけた。
ドリームタクシーという名前だった。
会社の数が変わっていないところをみると、1社が入れ替わったようだ。
面白い名前なのでこのタクシーを呼ぶことにした。
勘定を済ませてバーテンとおしゃべりしているとタクシーが着いた。
いやに早かった。
たまたま近くを流していたのだろうか。
Aはタクシーの後部座席に体を沈め、行き先を告げた。
運転手は、
「かしこまりました」
と乾いた声でいった。
いまどき、随分丁寧な応対だと、眠くなってきた頭でAは思った。
頭の中でいろいろ考え始めたが、眠気に任せて寝ることにした。


しばらくして目を覚ましたAは窓の外に目をやった。
あまり記憶にない景色が流れていた。
運転手に、
「いまどの辺なの」
と半分寝ぼけ眼で訊いた。
「もうすぐ目的地です」
とナビのような返事しか返ってこなかった。
少し腹が立ったが、まだ眠いので、
「じゃ着いたら起こしてくれ」
といってまたシートに体を沈めた。


どの位経っただろうか、Aの右側から、
「Aさん、そろそろ起きていただけますか」
と、やけに優しい声が聞こえてきた。
運転手の声ではないなと、直感で思った。
警戒しながら、座席に沈み込んでいた上半身をやっとの思いで起こし、声の方向に目をやると、知らない男が座っていた。
Aは驚いて、
「誰だぁ、あんた、なんでこんなとこにいるんだ」
車が途中で止まって乗り込んできたのだろうか。
それしか考えられないが、止まったという覚えも感触もAにはなかった。
事態がよく飲み込めないまま、
「どういうことだ、これは」
と男に訊いた。
「おやおや、あなたがどこかに行きたいと、このドリームタクシーをお呼びになったんですよ」
「はぁ、俺はうちに帰るから呼んだんだ」
「バーで、『しばらくどこかでのんびりしたい』とお話になってましたね」
「いったかもしれんが、それとこれとは関係ないだろう」
「いやいや関係が大いにあるんですよ」
と男は話し始めた。
「かいつまんでお話すると、いまあなたがいる『時空間』は、さっきまで飲んでいたところとは別の次元にあります」
Aにはまったく事態が飲み込めていなかったので、大人しくこの男の話を聞くことにした。
男は続けた。
「人間が住む世界は、電波の周波数帯のように、微妙な違いでいくつもの『時空間』がとなり合わせになっているのです」
男は学校の先生のような口調で話していた。
「それらの『時空間』は生活の忙しさ、時間の流れ方、生活習慣、住む人の違いなど、微妙に異なりますが、それほど大きな違いはないのです。同じ日本ですし、同じ政治経済です」
男はAの怪訝な顔を見ながら続けた。
「通常、その『時空間』を自由に行き来することはできませんが、ところどころにその『時空間』の切れ目があり、それを知っている者だけは移動が可能なのです。あのバーの周辺にはその切れ目があるのす」
男はAを見て、
「少しはお分かりいただけましたか」
「理屈は分かったような気がするが、本当のことなのかどうか大いに疑問だね。だいたいあんたは何者なんだ」
男は笑みを浮かべながら
「これは失礼しました。自己紹介が遅れておりました。あなたが住む『時空間』と隣り合わせの『時空間』で公務員として働いておりますBと申します」
「公務員?」
「さようでございます。私たちの世界では、あなの『時空間』でいう働き盛りの男の人口が少ないので、ほかの『時空間』から、希望者をリクルートしてきています。それが私の仕事です。これは国家事業なのです」
Aは半信半疑な顔で、
「国家事業?」
「さようでございます」
男は慇懃に応えた。
「でもそれじゃ拉致と同じじゃないの、違う?」
Aは半ば怒りをぶつけるように吐いた。
「一応同じ日本国内のことなのでそのような認識は持っておりません」
まるで役人の答弁のような答えだった。
「とにかくあんたらの世界に行く気はまったくないから、早くうちに送ってくれ」
Aは怒りを露に吐き捨てた。
「では、元の世界にお戻りいただきます」
「家まで送ってくれるんだろうね」
Aは念を押した。
「いやそういう訳には」
と男がいった瞬間、Aは腕にチクリとした痛みを感じた。


Aは目を覚ました。
バーのトイレの個室内だった。
目の前のドアに、
Call ドリームタクシー 0●ー1531-●87●
と落書があった。

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