2009年10月27日火曜日

パンティラインの謎

-最近、街を歩く女のパンツ姿が増えてきたような気がする、スカートを穿く女が少ないような気がする-
そんなことをぼんやり考えながら、Aは自宅から最寄の駅に向かって歩いていた。
朝の出勤時間帯のせいか、駅に向かう人は皆、足早だった。
その流れを邪魔するかのように、Aはマイペースで歩いていた。
そして何人もの人に抜かれていった。
自分を追い抜いて行く人混みの中に見える女の後姿だけを見ながら、

-脚線が見えなくてもパンツのお尻のラインがしっかり見えれば、それで充分-

などと思いながら前を歩く数人の女のお尻に視線を落としていた。
Aは極度のパンツ尻フェチなのだ。
パンツ姿のお尻に出るパンティラインを見るのが大好きで、程よい膨らみと形の良いお尻に写るパンティラインを見ようものなら、即座にムラムラとしてくるのだった。
そんな性癖を持つAの前を、ベージュのパンツに濃い茶色のジャケットを着て、落ち着いた足取りで歩く女がいた。
女の歩く速度が、微妙だが、Aが歩く速度に合っていた。
そして歩き方が妙に色っぽかった。
Aは腕時計に目をやった。


翌日、Aは昨日と同じ時間に同じ場所を歩いた。
例の女と出会うことを期待してのことだった。
予想通り、女は後ろから近づき、Aを追い抜いていった。

-今日は濃紺のパンツか、悪くないな、線も見えるし-

Aは呟いた。
女は次第に遠のいた。
Aはその時、閃くものがあった。


翌日、Aは女の通勤時間に合わせ、女に追いつくような形になるように歩いた。
狙ったとおり、女が前を歩いていた。
Aはいつもより足早に歩き、女を追い抜いた。
追い抜いてすぐ、上着のポケットに手を入れ、携帯を出した。
同時にハンカチを落とした。
もちろん意図してのことだ。
女が気づいて拾ってくれるか、気づいても無視するか、Aは賭けた。
携帯を見る振りをしてそのまま速度を落とすことなく歩いた。

-まだか…-

Aの心は乱れた。
とてつもなく長い時間に感じられた。
賭けに負けたと思って諦めた瞬間、首筋に女の声が刺さってきた。

「あの、ハンカチ落としましたよ」

初めて聞く女の声だった。

-ハスキーで艶っぽいなぁ-

Aは呟いた。
内心小躍りしたが、そんな気持ちは微塵も見せてはならない。
ドキドキしたが、やっとの思いで平静を装って振り向いた。
初めて見る女の顔だった。
想像より良い女だった。

「はい?」

Aはわざととぼけた返事をした。
女がハンカチを差し出していた。

「ああ、あれぇ、落としてました? ありがとございます」

Aは狼狽した演技をしてみせたが、ぎこちなさを自分でも感じていたので、相手にバレはしないかと、さらに不安が増幅してきた。
手にはじっとりと汗をかいていた。
Aはバツの悪そうな顔でハンカチを受け取り、礼を言った。
女は会釈して、そのままAの前を通り過ぎて行った。

-初回はこんなもんでいいだろう-

緊張はしたが、自分のプラン通りに首尾よく終わったと、Aは納得した。
予想外だったのは、女が思ったより良い女だったことだ。

-自分はパンツ尻フェチだから、バックシャンでも充分だったが、前も良いに越したことはない-

-所詮、男は欲張りな生き物だからな-

などと勝手に納得していた。


数日後、Aは電車の中で女に声をかけるべく時間調整をした。
女が乗る電車の時刻と車両は予め調べてあった。

-これじゃまるでストーカーだな-

と思いながらのリサーチだった。
本人がストーカーではないと思っているところが問題だが、特殊な性癖のため、危害を及ぼすようなことはなかった。
Aは乗車後、やや混雑した電車の中で、揺れに任せて徐々に女の傍に近づいていった。
そして、女と斜向かいになる位置を確保して、機会を待った。
女はつり革につかまりながら、片手に経済新聞を持って読んでいた。
電車が大きなカーブに差し掛かったとき、Aは女にもたれかかった。
その瞬間、

「あっ、すいません」

と謝った。

-わざともたれかかっておいて-

と自分で違和感を感じながらも

-シメシメ-

と思っていた。
そして、自分のシナリオ通りに、

「あっ、あなたは、この間の…」

と驚いてみせた。
女はしばらく唖然としていたが、思い出したように、

「ああ、ハンカチの方、ですよね?」

と問い返してきた。

「そうです、そうです、あの時はありがとうございました」

「あ、いえ、大したことではないですから」

Aはその先、言葉を繋げなかった。
女もちょっと当惑気味だったが、ちょうどその時、電車が次の駅に停まり、新しい客が乗り込んできて、二人の間は押し広げられたため、その日はそれきりになった。
Aのシナリオではもう少し会話が続くはずだったが、現実はそれほど甘くはなかった。


さらに数日後、Aは駅に向かう途中で女と出会うように時間調整して出かけた。
予定通り、女に接近できた。
そして、シナリオ通りに、

「おはようございます」

努めて元気の良い挨拶をした。

すでに声を交わしているから、後は元気よく、勢いで接する方が得策と判断しての行動だった。
女は、やや戸惑った様子だったが、笑顔で挨拶を返してくれた。


そんな朝のアタックを繰り返しながら、Aは女との距離をかなり縮めていった。
そして、最初に女のパンツ尻を見てから半年ほど経った頃、Aは女をホテルに誘うことに成功した。
これまで、Aが女のパンツ尻を見るときは、必ずパンティラインが浮き出ていた。
今日はその実態を目撃できるのかと思うと、Aは落ち着かなかった。
Aはホテルにチェックインし、女とエレベータに乗り、フロントで渡されたキーの番号のあるドアの前に立った。

-いよいよだな-

Aは心身共に緊張していて、股間は既に熱かった。


部屋に入ってソファに座ったAは女に、

「先にシャワー浴びてきたら」

と促した。
女はちょっと躊躇したが、頷いて、パンツを脱ぎ始めた。
Aはその後ろ姿を見ていたが、そこにはパンツに写っていたパンティがなかった。
Aは狼狽して、

「あれっ」

と思わず声を出してしまった。
女は振り向き、不思議そうにAを見て、

「どうかなさった?」

「いいや、パンティが…」
「ああ、私Tバックなの、ノーパンじゃなくてよ」

「でも、パンツにパンティのラインが…」

「ああ、あれはそういう紋様が入ったパンツなの、エンボス加工ね」

「ええ、そんなものがあるのかぁ」

「男の人がパンティラインを見たがると思って、わざわざそういうパンツを穿いてるのよ」

Aは自分の股間を覗いた。
冷め切った湿地帯があるだけだった。

2009年10月22日木曜日

ファストフードの真実

ここはハンバーガーで有名なM社の会長室。
会長とおぼしき筋肉質の男が、デスクに足を乗せて書類に目を通している。
デスクの上には6台の電話機と3台のパソコンがゆったりと配置されている。
電話機は、5ブロックに分けられた海外拠点の代表と結ばれたホットラインで、残りの1台はこの国の大統領とつながっているホットラインだ。
男が書類をデスクに置き、腕時計に目をやると、ドアをノックする音が聞こえてきた。
この会長室は、会長のデスクとドアの間に長さ50Mほどの会議机が置かれているほどの広さで、小さなノックでは聞こえない。
ノックの主は、あらかじめアポイントを入れていた商品開発本部の責任者だった。
大学時代にはフットボールのスター選手だったその責任者は、書類を持って時間を惜しむように部屋に入ってきた。
「新しい商品の試作品ができました」
「…」
「別室でテスターが味見を行いますのでモニターでご覧ください」
責任者はそういうとリモコンを操作して壁を開き、埋め込み式の大型ディスプレイを出した。
そこには別室で新しいハンバーガーを前にした大柄の男女各2名、計4名の人間が座っていた。
「いつもの人間ではないようだが」
「はい、いつもの連中はそれぞれ生活習慣病が悪化して合併症などを併発しており、仕事に耐えられませんので、新人を使っております」
「今回は早いね」
「はい、年々テスターの寿命が短くなっています」
「原因はなんだね」
「ハンバーガーの食べすぎかと思います」
「そうだろうな、いたし方あるまい」
「はい、依存症になるように添加物を加え、しかもコストを下げるためにかなりの混ぜ物をしていますから」
「私は一度も食べたことないが、うちのハンバーガーは美味いのかね」
「はあ、実は私も食べたことがないので、なんともコメントのしようがありません」
「困ったものだね、商品開発担当者の君は一度くらい食べた経験が欲しいね」
「はぁ、ではいずれ時間をみて」
責任者は困惑の表情を浮かべた。
「じゃ、テストを始めてくれ」
「はい」
責任者はリモコンのボタンを押した。
別室では現場担当者の指示でテスター達が試作品を食べ始めた。
しばらくすると、ディスプレイに映し出されていた4人が、ハンバーガーを食べながら歓喜の声を上げ始めた。
それを見た会長が
「今回のものは効き目が強くないか、少しやりすぎのような気がする」
「はあ、でも現在販売してる商品より強くすると、この程度にはなってしまいます」
「そうか、そろそろこの『喜び』の添加物を使うのも限界かな」
「そういう意見も開発現場から出ております」
「新しい添加物の開発は終わっているはずだな」
「はい、いつでも使えるよう準備はできております」
「では、3ヵ月後の販売に向けて、その添加物を使った新しい商品を開発するように」
「承知いたしました」
責任者はそう言うと、大型ディスプレイを収納して、部屋を出た。
責任者が部屋を出ると、会長はホットラインの1台に手を伸ばした。
独特の呼び出し音が数秒聞こえた後、先方が出た。
「やあ会長なんだね」
静かで深みのある声だ。
「大統領、ご報告があります、例の新しい添加物ですが、3ヵ月後には商品に使用して市場に出します」
「いよいよ出ることになったか」
「はい、これまでの添加物でもだいぶ生活習慣病患者の増加には寄与したと思いますが、これでさらに増えるでしょう」
「わかった、ご苦労だね」
大統領は会長を労った。
「では製薬会社へはよろしくお伝えください」
「承知した」
会長は受話器を置き呟いた。
「壮大なるマッチポンプか」

2009年10月17日土曜日

仮面電車

ある平日の昼下がり、Aは客先回りのためにJR山手線に乗っていた。
席が空いていても座らないことを習慣にしているAは、ドアの脇に立ち雑誌を読んでいた。
目が疲れてきたので、遠くを見ようとふと顔を上げた時、膝の上に化粧ポーチを乗せて、手鏡を置き、一心不乱に化粧する女性の姿が視界に入ってきた。
最近はよく見かける光景だが、Aはこの手の女性達の神経を疑っていた。
電車の中はもちろん、家を一歩出れば、どこかの個室にでも入らない限り、どこに行ってもそこは公共の場所だ。
かなり昔のことだが、Aは山手線で乗り合わせた外人親子の面白いやり取りを見たことがある。
日本でいえば小学校高学年位の息子が車内で騒いでいたのを、父親が
「This is public」
確かそんな風に言ったら、その子がおとなしくなったのだ。
公私のけじめを躾けてる、というより躾けられている、そんな印象を持ったのだった。
「パブリックかぁ」と、Aは当時を思い出していた。
それに比べ、いま目の前にある光景といったら、まるでパンツを穿かずに銀座を歩くくらいの恥さらしに見える。
そう考えているAにとって、公衆の場、公衆の面前でその汚らしい(Aが目撃するこの手の女性で美人はいない)顔を見せていることが許せなかった。
他の乗客はどうしているのかと周りを見渡すと、他にも同様に化粧している女性が3人いた。
周りの乗客は見てみぬ振りを決め込んでいるようだが、その様子からは好奇心が透けて見えた。
Aは溜息をつき、雑誌の誌面に目を落としたが、件の女性達が気になって活字を追うことができなくなっていた。
仕方なく車内を見回すと、4人の女性達の仕事もだいぶはかどっているようで、それぞれ元の顔からかなりの変化を遂げていた。
まさに化粧だなと、妙な感心をしていたが、ふとAは面白いことに気がついた。
それは4人とも同じ女性誌を持っていることだった。
そうやって同じ情報を共有し、流行りに振り回されていくんだな、主体性のない醜い女たちめ、そんな感情をもって彼女達の仕草を見ていた。
すでに雑誌を読む気にもならず、外を流れる景色をぼんやり見ていたが、何かが変だ、何かが変わってきている、そんな感じがしていた。
何だろう、視界に入ってくる風景に違和感がある、そんな印象だった。
そして、しばらく外を見たり車中を見たりを繰り返していたが、女たちの化粧が終盤に入ったとき、Aはその違和感を知った。
4人がまったく同じ顔になっていたのだった。
まるで般若の面を被っているような。
せめてオカメならよかったのに、と内心思ったが、流行を作る女性雑誌のなせる業か、とAは溜息をつきながら感心(寒心)していた。
気がついたら、Aが降りるべき駅は随分と遠ざかっていた。

2009年10月15日木曜日

チュニジアのアンティーク

大正時代から店を開いている骨董屋が六本木にある。
いまの店主で3代目となる老舗の骨董屋だ。
先々代、先代の営業努力もあり、富裕層から一般庶民層まで幅広い客層を持ち、また取り扱う品揃えがユニークな店としてよく知られている。
特にアフリカや中東あたりの骨董を得意にしている。
この店の幅広い客層の中にAがいる。
大企業に勤める中堅管理職で、コツコツ貯めた小遣いで骨董品を買うのを唯一の趣味にしてる男だ。
ある平日の夕方、Aは打ち合わせで外出した折、久しぶりにこの骨董屋をのぞいてみようと思った。
店に入ると店主が笑みを浮かべて話しかけてきた。
「久しぶりですねAさん、何かお探しですか?」
Aは、冷やかしで来たくらいのことは分かってるのに、と苦笑いしながら、
「いやいや仕事で疲れたのでちょっと心の凝りをほぐそうかと思ってね」
「それはそれは恐縮です。うちの店で癒されるならいつでも歓迎しますよ」
「しかし、いいタイミングで来られましたよ、ちょっと面白い物が入りましてね」
Aは、店主の愛想笑いの原因がこれだったかと合点がいった。
「ほう、どんなものですか? 私の食指が動くようなものですか?」
「たぶん、というより間違いなく。Aさんの好みは良く理解してるつもりですよ。ちょっと待っててください、いま持ってきますから」
そう言うと店主は店の奥に消えた。
待つ間、Aは店の隅にある展示コーナーを見ていた。
このコーナーには、店主がアフリカや中東で仕入れきた小物が置いてあり、手ごろな価格なので必ずチェックすることにしているお気に入りの場所だ。

店主が店の奥から小さな箱を持って戻ってきた。
「これですよ、私が以前チュニジアで仕入れたものです」
「ほぉー、チュニジアですか」
Aは顔をほころばせながら店主が箱を開けるのを待った。
店主は、粗末な木箱にかけられた麻紐を丁寧に解きながら、
「だいぶ前のことですが、観光でチュニジアに行った時、泊まったホテルのマネージャーと親しくなりましてね、仕事で骨董品を扱ってる話をしたら、是非見せたいものがあるといわれて、見せられたのがこれです」
そういって店主は箱を開けた。
そこには奇妙な形の物がウコン染めの木綿布に包まれていた。
「これは紀元前500年頃、エジプトで使われていた物らしいです」
「へー、随分古いものなんだ」
Aはため息をついた。
「それにしても妙な形だね」
その物は、円錐形の土台に5枚の羽がヤジロベエのように微妙なバランスをとりながら載っていて、高さは15センチほどだった。
材質は金属のように見えた。
「なんでもこれは潮の干満を教えてくれる装置だそうです」
「潮の干満?」
「そうなんです。干満の原因となる潮汐力は、月や太陽などの天体によって地球のまわりの重力場に勾配が生じることで起こるっていいますよね。この装置は月との距離が変わることで生じる重力場の変化を捉えて、この上の羽が回るんだそうです」
「動いたとこ見たの?」
「いやまだないですけど、この材質が合金で、かなり特殊なもののようです。その合金が重力場を感じるんだそうです」
Aは当然のことながら半信半疑で店主の話を聞いていたが、このような骨董品の場合、付加されている話の真偽はどうでもいいのだ。
この種の骨董品の場合、かび臭いロマンを買うようなものなのだと、割り切っている。
「それからこの装置には別の効能があるらしいですよ」
「別の効能?」
「効能っていうとおかしいですが、アラジンの魔法のランプみたいなものです」
「というと何が願い事が叶うのかな?」
「まあ、そういうことです」
店主がそういうとAの顔に好奇心が浮かんだ。
Aはいま社内の派閥抗争に巻き込まれている。
大企業にありがちな派閥抗争で副社長派と専務派が、社内での次の権力を握ろうとしのぎを削っているのだ。
Aは専務派に属しているが、いつまでもこの抗争が続くのは会社にとって良いことではないと思い、なにか解決の糸口がないか探っているのだ。
藁にもすがる思いで、この装置に願いをかけてみるか、そんな思いがふっとよぎったのだった。
「これはいくらで譲ってもらえるのかな?」
「お得様のAさんだから、10万あたりでどうですか?」
「う~ん、もう少し勉強してもらえると手が出るんだが」
「じゃ7万でどうです?」
「悪い数字じゃないから、それでいただくかな」
「ありがとうございます」
Aはその装置を自宅に送ってもらうことにした。

翌日の晩、自宅でその装置を手にしたAは、早速願い事をすることにした。
副社長が戦う意欲を無くせば社内抗争はなくなると思い、そんな意味のことを装置に向かって念じた。
そんなことを数週間続けたが、副社長にはなんの変化もなかった。
ある日、骨董屋を訪ねたAは例の装置に願いをかけるにはどうしたらいいのか、店主にそれとなく尋ねた。
店主がいうには、かなり具体的な願いの方が効果あるらしいということだった。
その晩からAは、抽象的な願いではなく、もっと具体的な願いをかけることにした。
しかも、あまり軽い願いでは効果が薄いと思い、強烈な願いにしたほうがいいだろうと考えて、
「副社長が病死しますように」
と念じたのだった。
10日ほど経った時、社内に副社長病死のアナウンスが流れた。
それを聞いたAは心臓が止まる思いだった。
「まさか、あの願いが本当に叶うとは…」
Aは翌日、例の装置を持って骨董屋に向かった。
「この装置、悪いんだが引き取ってもらえるかな?」
と落ち着かない様子で店主に装置を渡した。
「では、4万でお引取りいたしますが…」
「ああ、そうしてくれ」
Aは、価格交渉をする余裕もないようだった。
現金を受け取ったAは足早に店を出た。
その後ろ姿を見送りながら、
「ただのガラクタなんだけどな、これで3人目だ」
店主は呟いた

2009年10月13日火曜日

ドリームタクシー

「お勘定して」
Aは連日の仕事で心身ともに疲れているのか、少しばかりの酒で酔ってしまうので早めに帰ろうとバーテンに会計を頼んだ。
「今夜はお疲れのようですね」
「そうなの、ここんとこ寝不足が続くほど残業が多かったもんでさ」
「仕事があるだけいいじゃないですか」
「おいおい、冗談いうなよ、サービス残業だぜ、損得で言えば大損だよ」
Aは顔をしかめて、
「あんまりシンドイから会社なんか行きたくないよ、しばらくどこかでのんびりしたいね」
バーテンは大きく頷いて伝票を差し出した。
Aはクレジットカードをバーテンに渡して、
「タクシー呼んでくれる」
「Aさん、何いってんですか、うちではタクシーはセルフで呼んで貰ってるの忘れたんですか」
「ああ、そうかスマン」
Aはそういって店の入り口近くにある電話ブースに行った。
そこにはタクシー会社直通の電話があった。
といっても、契約している5社の中から好きな会社を選び、その短縮番号を押すだけのものだ。
Aはタクシー会社の一覧表の中に新しい会社名を見つけた。
ドリームタクシーという名前だった。
会社の数が変わっていないところをみると、1社が入れ替わったようだ。
面白い名前なのでこのタクシーを呼ぶことにした。
勘定を済ませてバーテンとおしゃべりしているとタクシーが着いた。
いやに早かった。
たまたま近くを流していたのだろうか。
Aはタクシーの後部座席に体を沈め、行き先を告げた。
運転手は、
「かしこまりました」
と乾いた声でいった。
いまどき、随分丁寧な応対だと、眠くなってきた頭でAは思った。
頭の中でいろいろ考え始めたが、眠気に任せて寝ることにした。


しばらくして目を覚ましたAは窓の外に目をやった。
あまり記憶にない景色が流れていた。
運転手に、
「いまどの辺なの」
と半分寝ぼけ眼で訊いた。
「もうすぐ目的地です」
とナビのような返事しか返ってこなかった。
少し腹が立ったが、まだ眠いので、
「じゃ着いたら起こしてくれ」
といってまたシートに体を沈めた。


どの位経っただろうか、Aの右側から、
「Aさん、そろそろ起きていただけますか」
と、やけに優しい声が聞こえてきた。
運転手の声ではないなと、直感で思った。
警戒しながら、座席に沈み込んでいた上半身をやっとの思いで起こし、声の方向に目をやると、知らない男が座っていた。
Aは驚いて、
「誰だぁ、あんた、なんでこんなとこにいるんだ」
車が途中で止まって乗り込んできたのだろうか。
それしか考えられないが、止まったという覚えも感触もAにはなかった。
事態がよく飲み込めないまま、
「どういうことだ、これは」
と男に訊いた。
「おやおや、あなたがどこかに行きたいと、このドリームタクシーをお呼びになったんですよ」
「はぁ、俺はうちに帰るから呼んだんだ」
「バーで、『しばらくどこかでのんびりしたい』とお話になってましたね」
「いったかもしれんが、それとこれとは関係ないだろう」
「いやいや関係が大いにあるんですよ」
と男は話し始めた。
「かいつまんでお話すると、いまあなたがいる『時空間』は、さっきまで飲んでいたところとは別の次元にあります」
Aにはまったく事態が飲み込めていなかったので、大人しくこの男の話を聞くことにした。
男は続けた。
「人間が住む世界は、電波の周波数帯のように、微妙な違いでいくつもの『時空間』がとなり合わせになっているのです」
男は学校の先生のような口調で話していた。
「それらの『時空間』は生活の忙しさ、時間の流れ方、生活習慣、住む人の違いなど、微妙に異なりますが、それほど大きな違いはないのです。同じ日本ですし、同じ政治経済です」
男はAの怪訝な顔を見ながら続けた。
「通常、その『時空間』を自由に行き来することはできませんが、ところどころにその『時空間』の切れ目があり、それを知っている者だけは移動が可能なのです。あのバーの周辺にはその切れ目があるのす」
男はAを見て、
「少しはお分かりいただけましたか」
「理屈は分かったような気がするが、本当のことなのかどうか大いに疑問だね。だいたいあんたは何者なんだ」
男は笑みを浮かべながら
「これは失礼しました。自己紹介が遅れておりました。あなたが住む『時空間』と隣り合わせの『時空間』で公務員として働いておりますBと申します」
「公務員?」
「さようでございます。私たちの世界では、あなの『時空間』でいう働き盛りの男の人口が少ないので、ほかの『時空間』から、希望者をリクルートしてきています。それが私の仕事です。これは国家事業なのです」
Aは半信半疑な顔で、
「国家事業?」
「さようでございます」
男は慇懃に応えた。
「でもそれじゃ拉致と同じじゃないの、違う?」
Aは半ば怒りをぶつけるように吐いた。
「一応同じ日本国内のことなのでそのような認識は持っておりません」
まるで役人の答弁のような答えだった。
「とにかくあんたらの世界に行く気はまったくないから、早くうちに送ってくれ」
Aは怒りを露に吐き捨てた。
「では、元の世界にお戻りいただきます」
「家まで送ってくれるんだろうね」
Aは念を押した。
「いやそういう訳には」
と男がいった瞬間、Aは腕にチクリとした痛みを感じた。


Aは目を覚ました。
バーのトイレの個室内だった。
目の前のドアに、
Call ドリームタクシー 0●ー1531-●87●
と落書があった。

2009年10月12日月曜日

宴席のケジメ

Aは都心の地下街でBと飲んでいた。
Bとの付き合いは、10年ほど前からだが、最近はほとんど会うこともなかった。
ところが珍しくBがAに電話をかけてきたのだった。
AがBと出会ったのはBが環境雑誌の編集をしている時だった。
誌面デザインを刷新する仕事をAに委託したことから付き合いが始まった。
しかし、環境雑誌の販売が低迷し続けたため、徐々に疎遠になり、現在Bは、政権与党議員の公設秘書に転職していた。
元々社会人としてのスタートを政治の世界で切ったBにとっては、当然の帰結だったかもしれない。
そんなBからの突然の電話だった。
特段の用事はなく、どうしてるかと思って掛けてきたらしい。
ちょうど携帯サイト制作の仕事をしていたAは、議員も携帯サイトのひとつ位は持ったほうがいいだろうと思って、その有用性を説明するからちょっと飲みましょうということになったのだ。
編集者の頃から人を見下したような言動があるBだが、公設秘書となってますます磨きがかかったようだった。
気取った語り口は、慣れないと聞いていて腹が立つものだ。
二人の年齢差はそれほどないのだが、寂しくなった頭髪を隠すためか、はたまたお洒落のつもりか、似合いもしないソフトを目深に被り、キザ丸出しのBである。
酒は日本酒が好物で、味が分かるのが自慢だった。
編集者時代、印刷会社の社長が接待しようとして声をかけたら、日本酒の銘柄がたくさんある店を指定してきたという話を聞いたことがある。
ある種のタカリである。
注文するにもイチイチ能書きを言わないと気がすまないらしい。
この宴席は、Aにとって接待の要素を兼ねたものだが、Bのタカリ癖はなかなかのもので、まずもって遠慮がない。
酒も、値段の高い方から注文してるのではと勘ぐるような銘柄が出てくる。
好きな酒を、好きなだけ飲んでるが、仕事の話には微塵も触れようとしない。
ようやく話の端緒をつかみ、
「議員さんも次の選挙を見据えて、それなりの広報活動をしてるんでしょ? ネットを上手く使ってます?」
と話を振っても、
「うちの議員には口を酸っぱくしてネットの有用性を説くんだが、いまひとつ反応が鈍いんだよね」
とやる気のない無難な会話しか成立しないのだった。
のらりくらりと適当な話で終止し、実のある話が展開せず、しかし酒量だけが増えていく様を目の当たりにして、Aはその夜の宴席をわざわざセッティングしたことを後悔していた。
話が仕事の方向へ展開しないと判断したAは、「そろそろ」とお開きを促し、ようやく勘定をすることができた。
その間、Bは明後日の方を向き、当然のように我関せずを決め込んでいた。
図々しくあり卑しくもあり、という見本のような表情だった。
別れの挨拶をした後、ほろ酔いのBは似合わないソフトを被り、軽い千鳥足で地下鉄の改札方向へ歩いていった。
Aはその背中を見送りながら呟いた。
「確か通勤は1時間半とか言ってたな。途中で確実に来るな」
Bがトイレに立った隙に、Aは酒に下剤を混ぜたのだった。
知り合いの薬剤師から、バリウム飲んだときにもらう下剤の2~3倍は効くからと分けてもらったものだった。